さよなら「カルミン」の想い出
今は昔、手軽に演奏できそうな楽器がないかと思っているところ、テレビ番組で紹介されていたのが・・・それは「テルミン」
すみません、仕事のタスクをため込んでしまい体調も文章も不調の筆者です。(※いつもだって?それは言わないお約束)
明治のお菓子、1921年発売以来ロングセラーの「カルミン」が2015年3月で生産終了と言う事なので想い出紀行(寄稿)。
1975年
当時住んでいた家から10分程度歩いた先に公設市場があった。
その公設市場の新聞折り込みチラシが月に一度、特売品の案内とスタンプシートみたいになっており公設市場事務所に行くと押印してくれる。
2週間程の期間のうち10日くらい押してもらうと300円前後の金券と交換してくれるシステムだったと思う。
筆者は一人っ子だった為、お菓子で取り合いになる事もなく。また間食はしない方だが、その金券でお菓子を買うのが楽しみだった。
ラジオ体操のハンコのように毎日通い、最終日に公設市場事務所で金券を受け取ると、そのそばに斜向かいで2軒お菓子屋がある。
両方ともお店の名前は忘れたが筆者は何故か内側にあるお店が好きで、でもその頃から空気を読むと言うか、両方に良い顔をしておかないとと言う気持ちが働き、もう一つのお店で100円程度適当にお菓子を買い、そそくさと本命のお菓子屋さんに移動し店のおばさんと話をしながらどれにしようかと吟味するのであった。
その買い物で必ず買っていたのが「カルミン」である。
筆者はこのお菓子が別段好きだった訳ではないが、ある日母親が「お母さん、このお菓子すきやねん」と言い実際家でよく目にしたと思う。
先述のように、お菓子に執着していたわけでもないので母親が喜ぶならと買っていたのだった。
やがて小学生になり、引越ししたことで定期的にお菓子を買いに行く習慣はなく、買ってもチョコやポテトチップスが主流になっていった。
2015年
人は郷愁にわがままなものだ。
想い出はずっとそのままでいて欲しいものの。だからと言ってそれを保持させるために何か手だてをうつわけでなし。
カルミンも聞くところ、時代の波に抗えず販売終了に至ったそうだ。
せめて最後に一口頬張り、ブログに記録しておこうとコンビニ巡りをするも置いてない。幾つかのスーパーを巡るも置いてない。
amazonで購入出来るが、ココは店頭で手に入れたい。
そうだ、駅前のモールに駄菓子屋があったな。
週末降りしきる雨の中、車を走らせる。
週末のモール街。駄菓子屋には多くの大人と子供。
ここら辺りか?と探すも見当たらず。スタッフに尋ねようと向かったレジに水色に赤と黄色のコントラストの目印がそこにはあった。
家に帰り、早速開封。
一粒が一円玉くらいのそのサイズ。
そうだ、その当時は意味がわからなかった「MS」の文字。多分「MeijiSeika」の略なんだろうな。
一口頬張り、かみ砕くと同時にほのかなミントの味。
流行りのタブレットにはない、確かにパッケージも味も古臭い。でも筆者にとってはほのかな・・・ただでさえ弱い涙腺が開くとともに当時の様相をおぼろげに映し出した。
感傷にふける思いをかき消してハンドルを握りしめ実家に向かう。
ポケットにカルミンを一つしのばせて。